伊豆半島を代表する狩野川(流路46km)は天城山系に源を発し、田方平野を北上して沼津市で駿河湾に注ぎ込みます。
人々は川の恩恵を受ける一方、1965年に放水路が完成するまで、毎年のように洪水に悩まされてきました。狩野川が氾濫を繰り返した背景には、この地域の大地の特異な成り立ちがあります。
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- 狩野川放水路
狩野川本流の流量を減らすために建設された約3kmのバイパス水路。巨大な放水路を前に、自然の猛威と立ち向かってきた人々の歴史に思いをはせてみませんか。
照会先
■伊豆半島ジオガイド協会 0558-74-5423
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- 狩野川資料館
1958年に伊豆半島に甚大な被害をもたらした狩野川台風の記録写真、体験者の手記、放水路建設の映像などを見ることができます。
照会先
■狩野川資料館
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- 大仁橋・水晶山
明治時代にここに木製の橋が架けられて以来、たびたび狩野川の水害に見舞われ、現在の大仁橋は5代目。橋の付け根に3代目の橋の一部が保存されています。
照会先
■伊豆半島ジオガイド協会 0558-74-5423
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- 城山
狩野川沿いでひときわ存在感のある山(342m)です。伊豆半島が海底にあった太古に、マグマの通り道が冷えて固まり、その岩塊が隆起によって地表に姿を現しました。
照会先
■伊豆半島ジオガイド協会 0558-74-5423
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- 韮山反射炉
幕末期、欧米諸国の開国要求に対抗して日本を守るために、江川太郎左衛門が築いた金属溶解炉。明治日本の産業革命遺産の一つとして世界文化遺産に登録されました。
照会先
■反射炉ガイダンスセンター 055-949-3450
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- 守山
日本史ゆかりの地。源頼朝は守山八幡宮で平氏打倒を目指して挙兵し、奥州合戦に先立ち、北条時政は戦勝を祈願して願成就院を建立しました。
照会先
■伊豆半島ジオガイド協会 0558-74-5423